いくつかのValentine Day Story 3

  • 一度もあえなかった、君。

携帯電話の液晶画面に並ぶ活字。それが、君を知るすべてだった。
「愛している」というメールの本当の気持ちを知る術は、なかった。「信じようとする気持ち」だけが、あの愛といえるか自信の無い二人の関係を、守っていた。
ある2月14日。ひとつの小包が届いた。その中身は、チョコケーキがワンホール。「今日中に食べてね」とだけ書かれた手紙。小食であまり甘いものを食べない自分には、ちょっと大きかったかな。でも、おいしかった。
「雪が解けたらあいに行くよ」その約束がかなえられないまま、途絶えた連絡。冷静に考えれば、宅配便の伝票には住所も書かれている。本気であおうとすれば…。でも、行動はついていかない。そっと、何の音も立てずに、終わりを告げる物語もあっていいのだと。

「自分のすべてを愛してほしいし、相手のすべてを愛したい」という考えから「相手の純粋な「存在」を愛したい」へと考え方が変わってきたように感じる。あまり変わっていないとも取れるが、たとえば「過去」のあつかい。前者では、可能かどうかは置いておいて「過去をも愛そうとする気持ち」がないわけではない。でも後者ではそこを切り離して考えている。過去は関係ないという考え方だ。たとえば理解しがたい犯罪なんかも、考え方の上では関係ない。それは「過去」なんだから。
よくロマンティストと言われた過去を思い出す。それはね、雰囲気とか状況そういったものに囚われることではない。今ここにある状況、それがどんなにチープであっても、それを「想像力」で補完することができるということ。
僕は待ち続けたい「始まりはあっても終わりのない物語」を。