人生最後に思うこと。

「創作はコミュニケーションの手段に過ぎない」という持論があった。今はこのブログが物語る通り、その持論の延長線上ではない。
タイトルの内容とかけ離れているように、読む人には思われるかもしれない。なかなか続きを書く気になれない。タイトルを打ち込んだ時点で、書くべき内容は見えている。しかし、そこまでの組み立てがうまくいかない。仮にもここにそんな「言い訳」を書くということは、物書きとしては「負け」だな。
さてと、少しマシュマロに包んで、本題。今現在創作に関するアナウンスというのはしていないと思う。しかしね、何かをしたい、実現したいというヴィジョンがまったくないといえば嘘になる。なんだかんだで、自分が死というものを意識したとき、それは「やりきった」という気持ちではなくて「あれもやりたかった」という未練だと思う。
「創作への想い」波があっても、消えたことはなかったな。それはたとえば「死にたい」と思ったときでさえ。あの「企画は止まったまま」だとかそんなことを考えている。自分の代わりに「あの企画を実現してくれる」人なんていないわけだし。ここでやっと最初の一文と関係してくる。「コミュニケーションの前提として創作があるならば」そんなことは思わないはずなのだ。物を書くということが手段ではなく、目的となる瞬間。極論すると「読み手のいない言葉をただひたすら綴る」というのもありになるわけだ。
ここまで読んでくれた人は気づいてくれただろうか。当ブログここの文章がまさしくそうなのだ、と。

ここまで長文を読んでくれた感謝のしるしに物を書くことをやめていない、自分にとって大切な言葉を。

文章を書くことをやめないでください

高校時代の読者からの手紙にあった言葉。そして、確実にいえることは、過去があるから今の自分があるということ。