もしも、自分の命が残り少ないとしたら…。

たとえば、寿命があと1年だとか言われたところで、はたして今以上に人生を生きられるだろうか、と自問自答してみる。でも、答えは出なかった。でも、遠くへ旅に出たいという、曖昧な欲求が出てきた。自分の知らない場所。そして、誰も知らない場所。…おっと、なんか自殺意図のダイイングメッセージみたいだ。もしも、自分が自殺したなら、ここのブログはTVで全国放送されるだろうか?ほんと、悪い冗談だ。
話を戻そう。つまりは死を意識した時、周りに知っている人がいるという状況から、意図的に逃げようとするのだろう。裏を返せば、生きているというのは自分が周りの社会と接することとイコールになる。もっとも、入院もしたことのない人間が語る事…、リアリティなどあったもんじゃない。

一時期「自殺」を研究していたことがある。その頃、自殺は「自分で自分を追い詰める」という状況と共に「一時的にでも孤独を追い求める」という状況が、最悪の状況へとつながっていく…。つまり「人とのつながり」は、セーフティネットになりうる。それは、ネットでは補いきれない。自分の作品で自殺を止められないか?という命題は今も、創作を続けられてる動機付けとなっている。