当ブロクについて 〜「一行心情」でググれ!〜

「一行心情」でgoogle検索をかけると、トップに表示されるのがこのブログ(約 31,900,000 件のうち)。
上位4つまで占領している。おそらく「一行心情」という言葉の「持ち主」なのだろう。これを書いている現在においては。
さて、当ブログは facebooktwitter 連携を昨年末解除した。それは、創作とSNSソーシャルネットワーキングサービス)を分けたかったからだ。自身はmixiアカウントを持っているが、そのmixiボイスとの連携は当初からしていない。感覚としてはONはON、OFFはOFFなのだ。公と私という言葉でもいい。
アンディ・ウォーホルはこう言った。以下ウィキペディアからの引用。

彼は自身について聞かれた際、「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」と、徹底し「芸術家の内面」をなくし表面的であろうと努めた。彼は有名なものへの愛情を隠さず、スターや政治家や事故、流行品をしばしば画題に取り上げ、それが有名で皆も自分も大好きだからだと理由を述べた。また彼自身がアメリカの有名人物になってからも、ペースを乱すことなく有名人を演じ、作品を制作し続けることを理想とした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%AB

自分がアンディ・ウォーホルを勉強していたときにもぶつかった言葉だ。「一行心情」ではあるけれども、その裏側を描こうとはしない。なぜか、それは「普遍性への昇華」というコンセプトに行き着く。おそらく「"Akihiro Yamauchi"という一人の人間」というのには大きな意味はなくて、「一人の人間である"Akihiro Yamauchi"」というのに意味があるのだろう。自分が何を書いたかではなくて、人間が何を書いたか。「自分のために書いた言葉が、誰かのためになる可能性」それを信じて、手紙の入った小瓶を海に流す。